2005年09月10日

劇団八時半「私の音符は武装している」☆

 ある大学の臨床心理学講座に所属する、女性ばかりの学生と院生たちが、ゼミ合宿後の息抜きとして山小屋に来た。勉強を離れて純粋に息抜きすると共に、まもなく結婚する院生の結婚式で披露する合奏を練習するつもりで。しかし何故か参加しているOBが「登山する」と主張し、なんとか逃れようとする学生達との激しい攻防が始まる。

 この劇団の作品は初めて観たが、非常に演劇らしい演劇で心地よかった。リズミカルに交わされるセリフの応酬と、印象的な静寂。基本に忠実でありながら決して古臭くはない演出だったと思う。そしてあれほど多くのセリフをよく覚え切れるものだと感心する。

 この作品を観て、演劇におけるリアリティの意味を考えさせられた。複数の人物が声をそろえて同時に同じセリフ(それも「あっ!」などの単語ではなく、ある程度の長さがある文のセリフ)を言ったり、誰かの発言で他の全員がずっこけて床にひっくり返って一斉に手足をバタバタさせるなどということは、現実にはありえない。そのため最近の演劇では、リアリティを損なうとして避けられている気がする(コメディは除く)。

 なぜならそのような演出は、あらかじめ決められた段取りに従って演じていることを強調してしまうからだ。極端にリズミカルなセリフの応酬がなかなか見られなくなっているのも、同じ理由ではないだろうか。

 だが、段取りがあることは演劇の本質であり、強い武器でもある。その武器に代わるものを得ずに放棄するのはもったいないではないか。そもそも舞台演劇は表現に制約が多くて不自然なものだということは、観客も了解している。嘘だと分かっているものから嘘っぽさを排除することに意味があるだろうか。

 この作品は最初から最後まで、いかにも段取りに沿っているという印象を受けた。セリフはどこまでもセリフらしく、演技はどこまでも演技らしい。ぎこちないという意味ではなく、何度も何度も練習を重ねたという印象だ。それはもしかすると歌舞伎を見ている気持ちに近いのかもしれない。だが、そのことが作品の面白さや現実味を損なうことはまったくなかった。個人的にはこういう芝居をもっと観たいと思う。

2005/09/10-19:30
劇団八時半「私の音符は武装している」
ザ・スズナリ/当日券3000円
作・鈴江俊郎
出演:室屋和美/長沼久美子/亀井妙子/奥野真央/宇於崎智子/山邊明日香


posted by #10 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京観劇1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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