2015年02月14日

鵺的「丘の上、ただひとつの家」

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おかあさん
育てる気がないなら
なぜわたしたちを産んだのですか
家族を知らないわたしたちは
ぼんやりとした幸せと不幸をかかえたまま
たださまよいつづけるしかないのですか

わたしの母は妻子ある父とつきあって自分を産み、後に別の男性と結婚して弟たちを産んだ。なので父方と母方に兄弟がある。母はわたしを祖母のもとに置き、戸籍の上では自分の弟ということにして嫁いだ。現在、高木姓を名乗っているのはひとりきりである。

母や母方の弟たちとは交流がある。彼らは「兄貴はかわいそうだ」と言う。自分がかわいそうかどうかはわからないが、家庭自体が崩壊、もしくはないということが世間的には同情の対象であることはわかる。が、はじめからそれが普通だったのだから、自分にとっては何が欠けているわけでもない。この感覚はじっさいにそういう立場になってみなければわからないだろう。

父とはほとんど交流がなく、二〇代の終わりに電話でいちど話したきりだ。電話口の父は人間的でユーモアも解する男性のようだった。それ以上のことはわからない。

祖母が亡くなったとき、父に会えと忠告してくれる人があった。だがけっきょく自分は会わなかった。家族がないのは哀れなことかもしれないが、しがらみのない自由がある。自分は自由を取った。

もしも会いに行っていたらどうなっていただろう。向こうのきょうだいたちはどんな顔をしただろうか。どんな顔をして会うのか、どんな顔をして迎えるのか。何を話すのか、話さないのか。家族を求める人びとの姿に迫ってみたい。自分のしなかったことをする人びとを書いてみたいと思う。
(チラシより)

 一人のひどい女性を中心に、彼女が産んだ子供たちの苦しみや過去の陰惨な出来事が描かれる。テーマは虐待とか育児放棄かと思いきや、そんな普通のレベルではないドロドロにすさんだある家族の物語。いや、もはや家族と呼べるかどうかすら怪しい。

 一般的な家族ドラマは自分と重ねづらいのであまり好きではないが、この作品は極端すぎるため逆にエンターテイメントと割りきって観ることができた。そういう意味では面白かった。ただ、多少なりとも家庭に問題を抱えてる人や、子供を中絶したことのある女性には、きつい話かもしれない。

 上記のように作者自身の境遇を題材にしているようではあるが、作者も私も男であって子供を産むことはない。自分の子供を作ることはあっても、お腹を痛めて産む女性とはどうしても感覚が違うだろう。女性がこの話をどう観るか、聞いてみたいと思った。

2015/02/14-19:30
鵺的「丘の上、ただひとつの家」
SPACE雑遊/当日精算3200円
脚本・演出:高木登
出演:井上幸太郎/奥野亮子/宍戸香那恵/高橋恭子/生見司織/平山寛人/古屋敷悠/安元遊香
舞台監督:田中翼/岩谷ちなつ
演出助手:元吉庸泰/田上果林
ドラマターグ:中田顕史郎
照明:千田実
音響:平井隆史
衣装:中西瑞美
舞台美術:袴田長武+鴉屋
宣伝美術:詩森ろば
舞台写真撮影:石澤知絵子
ビデオ撮影:安藤和明
posted by #10 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京観劇2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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