「吾輩は、夏目家三代目の猫である。名前はやっぱり、ない。初代はともかく、二代目、三代目と名前をつけぬ。家人も誰も構ってくれない。放っといてもらう方が気が楽だから不満があるでもないのだが、一体全体、飼う気があるのか、甚だ疑問だ。(チラシより)
この間など、よしここは一つ愛玩動物らしいところを見せてやろうと、主人の膝の上で甘えてみた。すると「抜け毛が酷い、病気だろう。クロロホルムでも嗅がせて殺してやった方が苦しまなくて幸せだ」などと言う。全く人間ほど不人情なものはない。殺されるのも癪だから、せっせと食事し運動して病気を治した。すると今度は主人の方が体を壊して寝込んでしまった。どうやらそろそろ死ぬらしい。身勝手な奴である。
胃病だから食事を控えろと言うのに、人の目を盗んで布団を這い出て、戸棚からジャムを舐めたり、お見舞いの饅頭を盗み食いしたりと子供のようだ。そうして隠れて食っておいて、五分と経たず血と一緒に吐き出して、余計に体を弱らせている。ご夫人が心配してたしなめると、怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らす。弱っているので怒鳴るだけだが、吾輩はよく知っている。昔はよく殴っていたものだ。ご夫人や、子供らを。
こんな奴でも死ぬとなると、先生、先生と言って人がぞろぞろ集まってくる。誰も彼も、この男の正体を知らぬらしい。日本を代表する国民的作家、漱石先生と呼ばれているが、何のことはないただの人だ。いいや、人より、さみしい人だ。誰よりもさみしい、一人ぼっちの。そこは吾輩が一番よく、知っている」──
知ってるようでよく知らない、夏目漱石の人となり。三十代半ばで文学者に転身し、孤独、軋轢、すれ違い、そして三角関係の恋を描き続け、どうにかこうにか「さみしさ」を生き抜いた心の奥底を猫と一緒に覗き込む、DULL-COLORED POPの最新作です。
全体にとても静かな舞台だ。効果音や音楽は最低限に抑えられ、眠くなる観客も一定数はいるだろう。集中してしっかり観るというより、雰囲気のいいバーの環境映像として大きなディスプレイで流しておくのに適したようなビジュアルだった。
夏目漱石は膨大な作品を残しているが、本人の人物像はあまり知られていない。いや知っている人は知っているのだろうが一般にそれほど明確なイメージはない(逆の例が太宰治や三島由紀夫だろう)。本作品には起承転結といえる展開はなく、淡々と彼の人生が断片的に描かれていく。
最初に漱石が死にかけている場面から始まるので、全体が彼の見ているいわゆる走馬灯のようなものだと思われる。描いているのは彼の人間性とか本性とかルーツとか、語られることなく浮き上がってくる。
死の床から若い頃幼い頃へとさかのぼる順序に構成することで、意図的に物語性を排除して人物像を描くことに集中したのだろう。それはそれで奏功しているものの、最初は筋を追おうとしてしまったため、観る姿勢を定めるのに少々手間取った。
2015/02/07-14:00
DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」
座・高円寺1/事前振込4000円
脚本・演出:谷賢一
出演:東谷英人/塚越健一/中村梨那/堀奈津美/百花亜希/若林えり/大西玲子/木下祐子/西郷豊/榊原毅/佐藤誓/西村順子/前山剛久/山田宏平/渡邊りょう
舞台監督:竹井祐樹
美術:土岐研一
照明:木藤歩
演出助手:畑田哲大/元田暁子
宣伝美術:西野正将
休場:大原研二
制作:福本悠美