2004年08月04日

トクプロ「ゾウの鼻歌」

(公演詳細は前出参照)

 ラストの自転車を修理している姿は言葉ではなく行動によって娘が成長したことを表す爽快感のある良いシーンだった。
ただ、娘の感情のスタート地点?が不明確であるため、なんとなく良い話ではあるがすっきりしないのではないだろうか。
娘が更生した流れは、夫がアザラシになってしまった女(今にも肉親を殺されようとしている)をみて自分の不幸の小ささに気づく、その不幸な女に高額で購入したゾウの置物が実は1万円程度の安物だったことをあっさり見抜かれ自分の不甲斐なさに気づく、肉親の為にあんなに必死になれることに何かを感じ取る(家族愛)。普段遊んでばかりいる(ようにみえる)父親が自分のために結婚資金を貯めてくれていたことを知り自分も愛されている事を知る、と、こんなところか?(全然違うかもしれないが)とにかく娘が何に対して不幸を感じているのかが不明確であるためすっきりしない感じがする。
推測するに父親との確執あたりが娘の不幸なのかな?普通、父親と年頃の娘は仲良くないものである。であるならば、もっと決定的な心のすれ違いが描かれないと判り難い。娘が10年に一人の自転車修理の天才だが家を継ぐのがイヤだとか、好きな男との結婚を父親が認めてくれなかったとかグレるきっかけが垣間見られればよかった。

(しおこんぶ)


posted by #10 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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