七ツ寺共同スタジオが発信する「voice of NANA II」という季刊批評紙がある。七ツ寺で観劇するとチラシと一緒に貰えるので、知っている人も多いだろう。その最新号(03年12月25日発行)の表紙には、「入門拒否症は市民派アートやアートセラピーに癒されてしまってはならないはず」と題した三脇康生氏の文章が載っている。まずタイトルからして難解だが、本文はもっとすごい。
実物を入手できない人のために引用しようかと思ったが、打ち込むのが苦痛なのでスキャナで読み込んだ。まずはこれを読んでみてほしい。
【voice of NANA II 第12号表紙(JPEG画像512KB)】
読んだ? では想像してほしい。「芝居好きの友人に誘われて、初めて七ツ寺に来た観劇初心者」がこれを見たらどう感じるか。最初の3行しか読まずに捨ててしまえば良いが、もし最後まで読んでしまったら演劇に対してどんなイメージを抱くだろう。よくわからない、とっつきにくい、敷居の高い世界と思いはしないか。もし芝居そのものがその人の趣味に合わなかったら、二度と足を運ばなくなるだろう。
voice of NANA IIは、各公演の宣伝チラシに混じって総合的な演劇フリーペーパーとして配布されている。ならばそれが目指すべき役割は何なのか。このペーパーの執筆者や編集者は、その記事によって読者にどんな変化をもたらそうとしているのかを問いたい。
特に大事なのは、読者は観客だという点だ。作品に対して言いたいことがあるだけなら劇団に送ればよい。あえて劇場入口で配るなら、演じ手ではなく観客に訴えかける何かがなくてはならない。何だろうか? 普通に考えればそれは、より強く演劇に興味を持ってもらい、より強く魅力を感じてもらうことではないか。芝居を知らなかった人を惹き付け、知っている人を繋ぎ止めることではないか。
しかしvoice of NANA II第12号にそういう姿勢は認められない。もしかしたら、演劇がマイナーな分野だという自覚がないのかもしれない。あるいは、いい加減な気持ちで見るべきではない高尚な芸術だとでも思っているのか。そう言えば今号の巻頭文は「アートの社会化」や「市民派アート」の必要性に疑問を投げかけている。演劇がより多くの人々に普及することが不要だと考えているのか? まさかそんなことはないと思うが。
映画やコンサートに比べ、演劇はまだ珍しい趣味と言われる。別にそれで困ることはないが、より良い作品が増えるためには母集団が大きい方がいいのだから、もっともっと広く普及させてもらいたい。限られた一部の人だけのものであって良いことなど何もないのだ。フリーペーパーに読み物を載せるなら、そういう視点を持つべきだと私は考える。