2011年07月01日

弘前劇場「家には高い木があった」

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 自分の持ち物が大きめのトランクにひとつで済んでしまう老人が死んだ。冠婚葬祭用の黒のスーツが1着、白いワイシャツが2枚、黒と白のネクタイが1本ずつ、フラノのズボンが2本、セーターが2枚、ベルトが1本、トランジスターラジオが1台、年金手帳が1冊、石鹸箱1個、靴下と下着がそれぞれ3日分、そしてオフホワイトのコートが1着。
 老人は仕事道具や寝具を別にして、それだけしか普段使っていなかった。老人が死んで、遺族はまず驚き、それから深く自分たちを恥じた。それだけで人はきちんと誇りを持って生きていけるのだと我が身を振り返った。
 井戸掘り職人だった老人は、毎日3合のコップ酒を飲み、たまには鰻も食べたがグルメというフランス語を知らずに死ぬまで自前の歯で通した。
 その残したものが全てを語っている。自由を貫くためには最低限の社会生活が必要であること。ズボンとセーターとコートがあれば寒くはないこと。文字を書き、ラジオを聞くことで娯楽は十分であることである。
 それ以外のものは基本的にはいらない。
 この遺品の残し方が現代社会に対する最大の批判であることを、残った遺族の全員が全身で理解していた。理屈ではなく体全体で理解した。
(チラシより)

 上記のあらすじほどしんみりした話ではない。祖父の葬式に集まった3兄弟。もうそれぞれ独立して家を離れそれぞれの土地でそれぞれの家族と暮らしている。大人になった兄弟は、子供の頃のように無邪気な仲間ではない。

 家族ものは基本的に苦手なのだが、それは多くの場合、家族の愛というものを無条件に肯定し表現しているからだ。しかしこの作品はそうでもなかった。確かに仲の良い家族だが、別に愛情に溢れているわけでもない。空疎な家庭では決してないが、ある意味自然な姿なのではないだろうか。

 劇的な事件が起こるわけでもなく淡々とその日の情景が描かれる舞台で、ゆっくりと日が暮れていく。舞台上に作られた家の部屋から客席の後ろを眺めている。そこに、大きな木がある。観客からは見えないその木の姿が語られる。別にどうしたというわけでもない、ただ大きな木がそこにある。

 なんでもない家族の話。どうということはないが、穏やかだった。

2011/07/01-19:00
弘前劇場「家には高い木があった」
ザ・スズナリ/前売券3500円
作・演出:長谷川孝治
出演:福士賢治/国柄絵里子/水下きよし/林久志/小笠原真理子/相澤一成/田邊克彦/猪股南/平塚麻似子/高橋和子/永井浩二/長谷川等/高橋淳
舞台監督:野村眞仁
照明:中村昭一郎
音響:田中守理
装置:鈴木徳人
字幕オペレート:黒滝奎吾
フランス語訳:Corinne Atlan


posted by #10 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京観劇2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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