2010年03月15日

イキシマの話、3回目。

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#10の観劇インプレッション:「精華小劇場製作作品「イキシマ」」
制作部日誌 3:「何がしたかったのかわからない、という批判」
#10の観劇インプレッション:「「イキシマ」続き」
制作部日誌 3:「公立劇場の役割と、素晴らしい演劇」

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 再度、回答します。

 まず本題と外れますが誤解されている部分があるので訂正しておきます:
一つは、「公立劇場が意味不明な作品を創るとは何事だ」ということのようです。乱暴な言い方になっているかもしれませんが、大阪市民の税金を使って、意味が分からない、マニアックな作品を創るのはけしからん、ということなのだと思います。

 これは違います。普通の公立劇場なら、前衛的でマニアックなアングラ作品でも構いません。むしろ商業的に成り立たないような作品をこそ積極的に扱ってほしいとすら思います。

 しかし今回は「公立劇場」という一般的な話ではなく、精華小劇場の話をしています。精華小劇場は単なる「公立劇場」ではなく、前の記事に書いたように「存亡の危機に立たされた公立劇場」です。最近流行の言い方をするなら「事業仕分けで廃止勧告を受けた劇場」です。そういう状況での劇場製作公演なのだから、仕分け人に考えを改めさせるプレゼンテーションにするべきだったのではないか、と言っているのです。

 仕分け人は演劇ファンではなく、「市の土地に劇場なんか不要だ。売ってしまえ」と考えているのです(イメージですが)。彼らの前でイキシマを上演して、どんな反応が得られるのでしょう。「これは素晴らしい、このような作品が生まれるなら是非税金を使って維持すべきだ」という言葉を引きだせるでしょうか。私は無理だと思いました。ポカーンとされて終わりでしょう。

 で、ここからが本題。
どうしたら現代の社会と接続でき、舞台芸術の可能性を見出せるのかを模索した結果であり、自己満足や、内輪のために製作した作品ではない。

 これが真意なら、イキシマが目指したものは私が期待したものと同じだったことになります。そしてイキシマが既存の演劇の枠を破ろうとしたことは間違いありません。残念ながら私には目的が達成されたとは思えませんが、正解のない課題に試行錯誤で取り組む以上、そういうことも仕方がないと思います。

 しかし取り組み方には多くの疑問が残ります。「100人が見たら、100通りの答えを持って帰ってもらえるような舞台」というのは、あらかじめ用意した正解が存在しないということではないのか。それでどうやって「劇場と演劇の存在意義を世に示すこと」が可能になるのか。そもそも示そうとした存在意義とは具体的に何だったのか。言葉で語るのは難しいのでしょうけれども、語れるものであるなら、ぜひどこかで語ってほしいものです。

 「イキシマは素晴らしかった、成功だった」と思い込んでしまったら、発展が止まります。批判だろうが感想だろうが、否定的な意見に対して好き嫌いの問題にしてお茶を濁さずに、次へ生かす姿勢を持ってもらいたいと思います。わかる人だけわかってもらえば良いという姿勢を続けるなら、精華小劇場には残念な結末が待っていることでしょう。

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posted by #10 at 01:55 | TrackBack(1) | 雑記雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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仕分けされた劇場と答えのない演劇
Excerpt: 前回の応答が無事にトラックバックされたようで、三度応答が来た。 ので、再応答。出来ればこれで終了としたい。 (議論を止めたい、ということではなく、ちょっと、今・このことに時間を避けないのです。ごめんな..
Weblog: 制作部日誌 3
Tracked: 2010-03-15 10:28
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