2015年02月28日

MONO「ぶた草の庭」

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みんなもうすぐ死んじゃうね。
人は希望を抱くから苦しむの?
絶望の中、それえもこれは喜劇なのだ。
(チラシより)

※タイトルとチラシのコピーだけでは内容がほとんどわからないため、以下はネタばれに相当するかもしれません。ただ状況のほとんどは序盤で明らかになります。

 とある伝染病の患者が隔離されている島。有効な治療法はまだない。患者は島から出られず、定期的に物資を届けに来る係員とガラス越しに会話することが外界との唯一の接点となっている。患者は体のどこかに赤い斑点があり、それが紫や黒に変わると死ぬらしい。ある日、島に新しい患者が連れられてくる…

 不治の病への感染、突然奪われる幸福、無責任な政府の対応、世間の差別や恐怖心との戦いなど、描かれている情景はひたすら悲しく理不尽でつらいことばかりだ。しかしそれを喜劇にしてしまえるのだから、MONOと土田英生の手腕は素晴らしい。小気味良い会話劇を通じて、言うべきことと言わなくていいこと、受け入れるしかないことと受け入れてはいけないことなどが丁寧に描かれる。

 近年もハンセン病患者への差別が問題になったことを思うと、実際にこういう病気が発生したらやはりここで描かれたようなことは起こるだろう。エボラやSAASが流行したことも記憶に新しく、決して他人事ではない。また、病気だけでなく移民への差別も表現されており、これもリアルな印象だ。

 とはいえ、実際の出来事との単純な対応は注意深く避けられており、露骨に“社会派”な作品ではない。極めてリアルな感触だが純粋にフィクションで、このあたりのバランス感覚も優れていると思う。

 ゲラゲラ笑えるような話ではないが、「それでもこれは喜劇なのだ」。

2015/02/28-15:00
MONO「ぶた草の庭」
ザ・スズナリ/事前入金4200円
作・演出:土田英生
出演:水沼健/奥村泰彦/尾方宣久/金替康博/土田英生/山本麻貴/もたい陽子/高阪勝之/高橋明日香/松原由希子
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2015年02月14日

鵺的「丘の上、ただひとつの家」

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おかあさん
育てる気がないなら
なぜわたしたちを産んだのですか
家族を知らないわたしたちは
ぼんやりとした幸せと不幸をかかえたまま
たださまよいつづけるしかないのですか

わたしの母は妻子ある父とつきあって自分を産み、後に別の男性と結婚して弟たちを産んだ。なので父方と母方に兄弟がある。母はわたしを祖母のもとに置き、戸籍の上では自分の弟ということにして嫁いだ。現在、高木姓を名乗っているのはひとりきりである。

母や母方の弟たちとは交流がある。彼らは「兄貴はかわいそうだ」と言う。自分がかわいそうかどうかはわからないが、家庭自体が崩壊、もしくはないということが世間的には同情の対象であることはわかる。が、はじめからそれが普通だったのだから、自分にとっては何が欠けているわけでもない。この感覚はじっさいにそういう立場になってみなければわからないだろう。

父とはほとんど交流がなく、二〇代の終わりに電話でいちど話したきりだ。電話口の父は人間的でユーモアも解する男性のようだった。それ以上のことはわからない。

祖母が亡くなったとき、父に会えと忠告してくれる人があった。だがけっきょく自分は会わなかった。家族がないのは哀れなことかもしれないが、しがらみのない自由がある。自分は自由を取った。

もしも会いに行っていたらどうなっていただろう。向こうのきょうだいたちはどんな顔をしただろうか。どんな顔をして会うのか、どんな顔をして迎えるのか。何を話すのか、話さないのか。家族を求める人びとの姿に迫ってみたい。自分のしなかったことをする人びとを書いてみたいと思う。
(チラシより)

 一人のひどい女性を中心に、彼女が産んだ子供たちの苦しみや過去の陰惨な出来事が描かれる。テーマは虐待とか育児放棄かと思いきや、そんな普通のレベルではないドロドロにすさんだある家族の物語。いや、もはや家族と呼べるかどうかすら怪しい。

 一般的な家族ドラマは自分と重ねづらいのであまり好きではないが、この作品は極端すぎるため逆にエンターテイメントと割りきって観ることができた。そういう意味では面白かった。ただ、多少なりとも家庭に問題を抱えてる人や、子供を中絶したことのある女性には、きつい話かもしれない。

 上記のように作者自身の境遇を題材にしているようではあるが、作者も私も男であって子供を産むことはない。自分の子供を作ることはあっても、お腹を痛めて産む女性とはどうしても感覚が違うだろう。女性がこの話をどう観るか、聞いてみたいと思った。

2015/02/14-19:30
鵺的「丘の上、ただひとつの家」
SPACE雑遊/当日精算3200円
脚本・演出:高木登
出演:井上幸太郎/奥野亮子/宍戸香那恵/高橋恭子/生見司織/平山寛人/古屋敷悠/安元遊香
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風琴工房「penalty killing」

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 月光市のアイスホッケーチーム「月光アイスブレーカーズ」のメンバー達の様々な葛藤と氷上の熱い試合を描く。実在のプロアイスホッケーチームである日光アイスバックスを描いた『アイスタイム』という本からインスパイアされて書かれたとのことなので、近いうちに読んでみようと思います。

 物語はそんなに特別なものではなく、あるチームに所属する選手たちの人生とか友情とかライバル意識とか勝利への希望とか家族のこととか、もろもろの想いを乗せて燃える男たちがリンクで火花を散らすという感じ。こう書くとありがちなスポ根もののようですが、そこはやはり風琴工房の舞台です。どのキャラクターも実にしっかり描きこまれ、それぞれに感情移入してしまい、試合シーンは燃えます。

 対面客席を組んだザ・スズナリの舞台上に丸いリンク。実際のアイスホッケーで使われるリンクの広さに比べたら極めてこじんまりしたスペースなので、どうやってこんな場所でホッケーを表現するんだろうと思いましたが、流石の演出手腕でなんらスケールを小さく感じさせることなく、激しい試合が表現されていました。

 アイスホッケーは米国ではかなりメジャーなスポーツらしいのですが、日本ではまだ人気も知名度も低いのが実情です。私も「氷上の格闘技」という異名くらいは聞いたことがありますが、ルールもそんなに詳しくは知りませんでした。最初に用語説明がありましたが、大半は初耳でした。しかしこの舞台を観て急に関心が湧いてきました。一度くらいは観戦に行ってみたいと思います。

2015/02/14-14:00
風琴工房「penalty killing」
ザ・スズナリ/事前振込3800円
作・演出:詩森ろば
出演:粟野史浩/森下亮/筒井俊作/浅倉洋介/大石憲/岡本篤/金丸慎太郎/金 成均/久保雄司/後藤剛範/酒巻誉洋/佐野功/杉木隆幸/野田裕貴/三原一太/五十嵐結也/岡本陽介/草苅奨悟
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2015年02月11日

タカハ劇団「わたしを、褒めて」

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――わたし、褒められるためだったら、人を殺したっていい!!!

都内某所のアパートで、一人の女優が死んでいた。
彼女はなぜ死んだのか。真実は、稽古場にある。

東京の片隅の、どこにでもある、
誰にでも住めるようなアパートの一室で、
一人の女が死んでいた。
一見して彼女の素性は知れなかったが、
遺品から、この女が女優だったことがわかる。
彼女の部屋に散らばる無数の公演パンフレットから、
舞台『楽屋』パンフレットを拾い上げ、刑事が言う。
「あ〜この人か! 知ってる知ってる、
俺テレビでなんどか見たことある!」
そういった刑事の持つパンフレットをのぞき込んで、
もう一人の刑事が言う。
「あー……俺ちょっとわからないっすねぇ」
彼女は、そんな女優だった。
(チラシより)

 演劇の中で演劇を扱うと内輪ネタのようで好きではありませんが、この作品は別格でした。本作で劇中劇として登場する「楽屋」という作品は実際にかなり多くの劇団が上演している定番戯曲で、これ自体がさらに劇中劇を持ちますが、本作全体もまた劇中劇の体裁をとっていました。一番メタな部分は必要あったのかよくわかりません。

 演劇の舞台裏がどんなものか私は知りません。恐らく本作は相当に誇張したものと思われますので真に受けるわけではありませんが、人間ドラマとしては多分そういうこともあるんだろうなと思われます。実力の世界なだけにドロドロした部分はなくせないでしょう。

 過去にドラマがヒットした女優を起用して話題性を持たせるという、いかにも商業演劇的なキャスティングがとんでもない事態を引き起こすのですが、この芝居そのもののキャスティングは見事なまでにはまっていました。

2015/02/11-14:00
タカハ劇団「わたしを、褒めて」
駅前劇場/事前振込3900円
脚本・演出:高羽彩
出演:千賀由紀子/異儀田夏葉/江原由夏/水木桜子//高野ゆらこ/古木知彦/神戸アキコ/後東ようこ/結城洋平/山田悠介/眼鏡太郎/久保貫太郎
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2015年02月08日

ユニークポイント「フェルマーの最終定理」

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17世紀、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが「この定理に関して私は真に驚くべき証明を見つけたがこの余白はそれを書くには狭すぎる」と書き残したフェルマー予想は、その内容の簡潔さゆえ、何人もの数学者やアマチュア研究者が証明に挑みましたが、なかなか証明されませんでした。1993年、イギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは秘密裏にこの証明を研究し、1995年、誤りがないことが確認され、ついに最終決着となりました。証明まで実に360年もの歳月を要したのです。本作「フェルマーの最終定理」は、ワイルズがフェルマー予想を証明する歴史的講義に立ち合った、若き日本の数学者たちを巡る物語です。
(チラシより)

 フェルマーの最終定理が証明されるまでのエピソードについてはサイモン・シンの書いた本を読んでいますが、証明自体の内容はほとんど理解できませんでした。理解できる人は極めて少数でしょう。

 従ってこういうテーマで一般向けの作品は人間ドラマが中心になるものですが、驚いたことにユニークポイントはかなり数学を全面に押し出した戯曲で攻めてきました。もちろん人間ドラマも多分に含まれているのですが、後半は延々と数学の議論が続きます。

 何を言ってるか全然わかりませんが、数学者たちが嬉々として議論している姿を眺めているだけでなんとなく嬉しくなってくるから不思議です。実際に、優秀な数学者たちが360年もかけて戦った問題との決着がつく瞬間に立ち会うというのは、果たしてどんな気持ちだったのでしょうか。

 それにしても、この戯曲を書いた人もセリフを覚えて演じている人も、多分実際に理解できているとは思えないわけで、よくもまあ見事に書いて覚えて演じられるものだとつくづく関心しました。

2015/02/08-13:00
ユニークポイント「フェルマーの最終定理」
シアター711/当日清算2800円
脚本・演出:山田裕幸
出演:洪明花/北見直子/古市裕貴/ナギケイスケ/古澤光徳/平佐喜子/ヤストミフルタ
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2015年02月07日

エビス駅前バープロデュース「T OF N」

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 Mrs.fictionsの中嶋康太が脚本を書いて同団体が主催する企画「15 minutes made」で上演された作品を、mielの金崎敬江の演出によりエビス駅前バーで上演するというもの。もともと独立していた3作品をオムニバス的に繋いでおよそ1時間余りの作品となっています。

「東京へつれてって」
「天使なんかじゃないもんで」
「お父さんは若年性健忘症」

 このうち「東京へつれてって」と「お父さんは若年性健忘症」は15 minutes madeの際に観劇しましたが、「天使なんかじゃないもんで」は初見です。全体に、ダメなところが多いけど前向きに生きてる人たちがたくさん登場するハートフルストーリーです。

 金崎敬江が主催と演出を手がけるmielの舞台も何度か拝見していますが、白い衣装が好みの様で、今回も大部分が白かアイボリーの衣装で統一されていました。全体のイメージがそれで方向付けられて綺麗です。

 ただ、話の中では制服やスーツなど特定の服を着ているはずなのに白い衣装のまま言葉で説明されているところがあり、そこはやっぱり実際に衣装を着てほしいなと思いました。好みというかスタイルの問題なのでしょうが。

 3作を繋げたことによる効果的な演出として、登場人物が黙りこんでしまう(言葉が出てこない)場面で、別の作品の象徴的なセリフが挿入されるというものがあり、これは虚を突かれてゾクゾクしました。

2015/02/07-19:00
エビス駅前バープロデュース「T OF N」
エビス駅前バー/当日清算3000円
脚本:中嶋康太
演出:金崎敬江
出演:酒井香奈子/荻山博史/田中千佳子/永山盛平/斉藤麻衣子/大沼優記/萱怜子/赤澤涼太
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DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」

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「吾輩は、夏目家三代目の猫である。名前はやっぱり、ない。初代はともかく、二代目、三代目と名前をつけぬ。家人も誰も構ってくれない。放っといてもらう方が気が楽だから不満があるでもないのだが、一体全体、飼う気があるのか、甚だ疑問だ。
この間など、よしここは一つ愛玩動物らしいところを見せてやろうと、主人の膝の上で甘えてみた。すると「抜け毛が酷い、病気だろう。クロロホルムでも嗅がせて殺してやった方が苦しまなくて幸せだ」などと言う。全く人間ほど不人情なものはない。殺されるのも癪だから、せっせと食事し運動して病気を治した。すると今度は主人の方が体を壊して寝込んでしまった。どうやらそろそろ死ぬらしい。身勝手な奴である。
胃病だから食事を控えろと言うのに、人の目を盗んで布団を這い出て、戸棚からジャムを舐めたり、お見舞いの饅頭を盗み食いしたりと子供のようだ。そうして隠れて食っておいて、五分と経たず血と一緒に吐き出して、余計に体を弱らせている。ご夫人が心配してたしなめると、怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らす。弱っているので怒鳴るだけだが、吾輩はよく知っている。昔はよく殴っていたものだ。ご夫人や、子供らを。
こんな奴でも死ぬとなると、先生、先生と言って人がぞろぞろ集まってくる。誰も彼も、この男の正体を知らぬらしい。日本を代表する国民的作家、漱石先生と呼ばれているが、何のことはないただの人だ。いいや、人より、さみしい人だ。誰よりもさみしい、一人ぼっちの。そこは吾輩が一番よく、知っている」──

知ってるようでよく知らない、夏目漱石の人となり。三十代半ばで文学者に転身し、孤独、軋轢、すれ違い、そして三角関係の恋を描き続け、どうにかこうにか「さみしさ」を生き抜いた心の奥底を猫と一緒に覗き込む、DULL-COLORED POPの最新作です。
(チラシより)

 全体にとても静かな舞台だ。効果音や音楽は最低限に抑えられ、眠くなる観客も一定数はいるだろう。集中してしっかり観るというより、雰囲気のいいバーの環境映像として大きなディスプレイで流しておくのに適したようなビジュアルだった。

 夏目漱石は膨大な作品を残しているが、本人の人物像はあまり知られていない。いや知っている人は知っているのだろうが一般にそれほど明確なイメージはない(逆の例が太宰治や三島由紀夫だろう)。本作品には起承転結といえる展開はなく、淡々と彼の人生が断片的に描かれていく。

 最初に漱石が死にかけている場面から始まるので、全体が彼の見ているいわゆる走馬灯のようなものだと思われる。描いているのは彼の人間性とか本性とかルーツとか、語られることなく浮き上がってくる。

 死の床から若い頃幼い頃へとさかのぼる順序に構成することで、意図的に物語性を排除して人物像を描くことに集中したのだろう。それはそれで奏功しているものの、最初は筋を追おうとしてしまったため、観る姿勢を定めるのに少々手間取った。

2015/02/07-14:00
DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」
座・高円寺1/事前振込4000円
脚本・演出:谷賢一
出演:東谷英人/塚越健一/中村梨那/堀奈津美/百花亜希/若林えり/大西玲子/木下祐子/西郷豊/榊原毅/佐藤誓/西村順子/前山剛久/山田宏平/渡邊りょう
続きを読む:スタッフリスト
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