
わかり合うには、寛容の心が必要ですが、それだけじゃ不十分。(チラシより)
頭の良さも必要です。
でも、私たちは大抵、それほど頭が良くない……。
そのうえ大抵、不寛容でもある。粘り強さも足りない。
そして私たちはなにより、自分が気持ちよく、気分良く、生きていたい。
それを基本的に、他のなによりも優先したい。
そしたあれやこれやで、わかり合うための努力は、あまり行われなかったりします。
困ったことです。
でも困ってばかりいるというだけは、ナシにしようと思います。
解決なんかしなくてもいいから。
チェルフィッチュの主宰で劇作家の岡田利規と、ダンサーの森山開次とが組んで創作した、演劇ともダンスともつかないパフォーマンス。作風としては以前観たチェルフィッチュの「三月の5日間」や「ゾウガメのソニックライフ」と同じような、登場人物の独白(たまに会話)を積み重ねて全体像を作るようなスタイル。リアルな演劇の対極を目指しているような表現方法だ。チェルフィッチュや岡田利規はずっとこうなのだろうか?まだこの3つしか観ていないが。
ゾウガメの…と今回はいずれも、役者が役を演じるのではなく役者として何かについて観客に語りかけているような表現だった。冷静に考えればそれもまた台本に従った演技なのだが、それを忘れて本当に素の役者がしゃべっているような印象を受けた。決して自然なしゃべりかたをしているわけではなく、一種独特なリズムでセリフを吐いているにも関わらず、だ。これはある意味すごい演技力なのだと思う。特にセリフの多い青柳いづみは少し前に観たマームとジプシーにも出演していて、その時も存在感があったが、今回も惹きつけられた。
例えば、家電について語る場面。「みなさんは、電子レンジの仕組みを知っていますか」と客席に向かって問いかける。それから電子レンジの仕組みを説明する。その後で、「みなさんは、わかりますか? 私はセリフとしてしゃべっているけど、本当は全然わかりません」と(細かい言葉は忘れたがそういう意味のことを)言う。しかしこれもまたセリフだ。もしかしたら素の彼女は電子レンジも冷蔵庫もしっかり仕組みを理解しているのかも知れない。実際に理解してないかもしれないが、彼女が舞台上で発した言葉はそれを言っているのではなく、セリフなのだ。けれどその場では、セリフではなく本当に彼女が本心をしゃべっているように聞こえた。
同じようなことは、女優二人のダンスシーンにも言える。森山に指導されて(ダンサーではない)女優二人が踊るのだが、これが実に面白い。ギクシャクとして滑らかさに欠け、しかも体が硬いので森山がイメージした通りに動けていない(これは言葉で説明される)。単体で彼女達のダンスだけ見るとそれほど下手とも思えないが、森山開次が同じ動きをやってみせると全く違うのがわかる。‥‥という「設定で」踊っているわけだ。
この公演は全部で10ステージあり、私が観たのは7ステージ目。もちろんその前の稽古期間から相当に踊っているわけで、(体の硬さは仕方ないとしても)本当にギクシャクしかできないままではないだろう。あくまでも「ギクシャクして滑らかでないダンス」を演じているのだ。いやもしかすると本当にどう頑張ってもどうしようもなかったのかもしれない。さすがに森山と同レベルにはならないだろうから仕方なくそういう演出にしたのかもしれない。だがステージ数が進むにつれて段々上手くなってしまってもいけないのだから、「踊れなさ加減」は固定したはずだ。ヘタな踊りを本当にヘタのように踊る。これも結構すごいのではないか。
とはいえ作品全体としては、正直な所、意味がわからなかった。観ていてなんとなく面白い気はしたけれど、演劇というよりピタゴラスイッチを眺めているような面白さに近かったと思う。
2011/09/30-19:30
フェスティバルトーキョー・あうるすぽっとプロデュース「家電のように解り合えない」
あうるすぽっと/当日券4800円
作・演出:岡田利規
出演:森山開次/安藤真理/青柳いづみ
美術:金氏徹平
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