2009年01月31日

chikin「豚」

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鶏が
豚に
挑戦です
(チラシより)

 chikinは女性3人組。一貫した筋のない作品なので演劇と呼ぶのは難しいようにも感じますが、その作り込まれた世界は決して単なるライブパフォーマンスではなく、台本が存在する舞台ならではのまとまった印象が確かにあります。まあ、アドリブも少なくないかもしれませんが。

 語るべき言葉が見つかりませんが、とりあえず観ていてワクワクするものがありました。ポークオンリー。

2009/01/31-19:00
chikin「豚」
アトリエ劇研/前売券1500円
作・演出・出演:chikin
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2009年01月24日

化石オートバイ「さらば双子の金星の人よ」

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世の中は多重構造のポリフォニー。スペクタクルとナンセンスと掃き溜めに立ち上がるは寓話!てんやわんやの一大叙事詩!目に焼きつけろ本気の大人の妄想力を!
虚空を突き進む宇宙船には孤独が蔓延している。クルーの誰もが夢見るは人ならぬ美女。ちょっと待ってよ美しい人よ、おれをとって喰わないでくれ!
イリュージョンは今日も大成功、だったはずなのに今のおれは橋の下。失った兄貴と喝采の幻を追い掛ける。異形の者たちは誰よりも速く野を駈ける。
ツキに見放された女たちは賭けてはいけないものを賭ける。金星から見放された力士は曙に願いを掛ける。さようなら、すべての人たちよ!
(チラシより)

 上記のチラシ文は案外正しく内容を表現していた。さらに当日パンフの言葉を借りれば「てんやわんやなお芝居」だ。前回と同様、少ない数の役者が非常に多くの役を演じている。パンフに書いてあるだけでも6人の役者が35役。うち一人は1役だけなので実質は5人で34役だ。これはこの劇団のポリシーなのかな?

 てんやわんやな芝居なので流れを追うより空気を楽しむ姿勢で観劇していたが、なんとなく全体を貫く骨組みがあるようなないような。後半、宇宙船の中で人間が入れ替わりながら同じ場面がループし、最後に人が減っていくというシーンがありましたが、なんとなくスタートレックにこんな雰囲気のエピソードがあったような。イリュージョンの場面は少年探偵団風? バラエティに富んだシーンが折り重なって、最後は、最後は?

 正直言って後には何も残らないけれど、その時は楽しかったんだよ。と納得してもいいんじゃないかな、と思う。

2009/01/24-15:00
化石オートバイ「さらば双子の金星の人よ」
in→dependent theatre 2nd/前売券2800円
作・演出:山浦徹
出演:赤星マサノリ/石原正一/平林之英/小山茜/山浦徹/高須浩明・縄飛ぴょん
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2009年01月17日

ポータブル・シアター「バタフライはフリー」

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盲目の青年ドンは、ニューヨークのアパートで一人暮らしを始め、
そこで女優志望の女の子ジルに出会う。
「私が望むのは自由になることだけ。蝶は自由・・・」
このディケンズの引用に共感しあう2人、
自然体で快活なジルと純粋でひたむきなドンは、
互いに強く惹かれあい恋に落ちる。
しかし、そこに気品を重んじるドンの潔癖な母が登場して…
(チラシより)

 1969年にブロードウェイで初演、1972年には映画化もされた作品であり、いかにもそんな時代のアメリカらしい物語だ。全体にアメリカンホームコメディのような演出で、観客の笑い声が挿入されていてもおかしくない雰囲気。

 ジルは快活というより奔放、ドンは純粋というより世間知らず、そして潔癖な母親はまさにそのまま。後半に少しだけ登場するラルフはいかにも嫌みな業界人といった役回りで、ある意味ステレオタイプな登場人物ばかりでわかりやすい。

 最近のひねった作品と比べると直球勝負な内容だけに、役者や演出の念入りな作り込みが感じられた。役者の動きを見ているだけでも、基本的な訓練をしっかりやっていることが伺われる。簡素だがポイントを抑えた舞台装置にも好感が持てた。

 ただ惜しむらくは、ドンの歌がちょっと、ね。アコーディオンは素晴らしかったのですが。

2009/01/17-19:00
ポータブル・シアター「バタフライはフリー」
芸術創造館/当日券1500円
脚本:レオナルド・ガーシュ
翻訳・演出:枡井智英
出演:三浦求/山本純子/道明ゆり子/桂口幸春・守内宏輝/かんのとしこ
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2009年01月10日

ミジンコターボ「カレル・チャペックの砦」

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未来も過去も想いも全部、アタシがまとめて掘り起こす!
遙か彼方の未来のハナシ。命のすっかりいなくなった真っ白地球にぽつりとひとつ、おかしなおかしな「砦」があったんだとさ。そこに住むのはたくさんのロボットたち。怒ったり笑ったり、勉強したり、自立したり、時には落ち込んだりもするけれど、みんな楽しく暮らしていたんだ。──たったひとつ、恋することだけは誰も知らずに。鉄の肌さえあったかくなる純愛SFファンタジー。甘くて苦い初恋を、北風と共に。
(チラシより)

 ポップなノリでコミカルに始まって、後半は切なく苦しい悲劇的展開、そしてわずかな幸せを拾い上げるエンディング。ミジンコターボの本公演を観るのは4回目ですが、常にこのパターンが踏襲されていると思います。

 ロボットが恋愛とか感情に憧れるという設定は少女マンガ的SFの王道ですが、SFとしての科学考証は思いきりよく捨てた印象で、ほぼ完全なファンタジーと割り切ってとらえる方が良いでしょう。登場人物がほとんどロボットばかりというだけのことです。

 さらに勝手な解釈を進めると、ファンタジーですらなく神話なんじゃないかとも思いました。この話の「人間とロボット」の関係を「神と人間」に置き換えれば、後半の戦いは信仰をめぐる争いとも重なるわけです。

 唯一残っていた人間の男が目を覚まし、ロボットたちに身勝手な命令をしはじめると、ロボットたちは彼に従うものと反発するものに別れて争いを始めます。前者は男を「人間さま」と呼び、逆らうロボットを破壊しまくり、人間に言われれば壊れろ(=死ね)という命令にすら従います。

 これを神と人間に置き換えれば、十字軍や狂信の姿に重なります。もちろん、ロボットたちは人間に作られたことを知っていますが人間は神に作られたかどうか必ずしも自覚していない等の差はありますが、仮に今私たちの前に「神」が降臨したとしたら、やはりあのような反応になるんじゃないかと。

 では、ロボットが恋を知らないように、人間が知らない神の感情があるのだろうか?アガペーとか?‥‥作者がそんな意図を持っていたかどうかは判りませんが(多分違うでしょう)、一種の黙示録みたいだと思った芝居でした。

2009/01/10-15:30
ミジンコターボ「カレル・チャペックの砦」
in→dependent theatre 2nd/前売券2500円
作:竜崎だいち
演出:片岡百萬両
出演:竜崎だいち/上原日呂/Sun!/井田武志/後藤菜穂美/片岡百萬両/弘中恵莉菜/立花明依/藍原こまき/川端優紀/近藤ヒデジ/アンディ岸本/山田将之/入谷啓介/南雲飛鳥/ナカバシマリナ/翔輝/西茜/笹田絵莉/奥野麻季/ふるかわゆかり/中野ゆうか
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