人と人との間に境界線が引かれる。勝ち組負け組などと煽るマスコミによって、或いは収入の高低を自己の評価軸と考える人びとによって。今に始まったことではないにしろ、その境界線は、以前にも増して一直線に、徒競走のゴールラインのような鮮やかさで、緩やかに進もうとする者を阻む。(チラシより)
民主化以前の中国で「ウサギとカメ」の寓話を子供たちにしたところ、「どうしてカメは、眠ってしまったウサギを起こしてやらなかったのか」という声が大多数を占めたらしい。嘘か誠か、真偽のほどはわからない。あの寓話はウサギとカメをひとつのフレームに収めて語るわけであるが、その遥か後方にカタツムリが這っていたとすればどうだろうか。現代の語り部たちはすっかりカタツムリのことなど忘れてしまった。長距離走の最終走者をじっくり寄り添うような視線を持ちたいのだ。「越境する蝸牛」の所以である。
舞台は20年後の日本にある韓国料理店。自衛軍が朝鮮半島に派兵される中で開店休業を余儀なくされている。家族は在日コリアンの店主と、日本人の先妻との子供である長男、在日の後妻との子である長女、そして店主の父親。
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